【コミュニケーションの罠 ~期待を手放す】

  以前にある方との関係性で、とても理不尽で怒りを感じる出来事がありました。   とてもモヤモヤとした気持ちをしばらく抱えていたことを思い出します。心理学ではよく言われていることですが、そのような時自分がある罠に大きく嵌ってしまっていることに気付きました。   それは、「コミュニケーションの問題は、多くの場合相手に何かを期待している時に起きる」ということです。   「いや、そんなことはない。あの嫌味な上司には何の期待もしていない。」と思う人もおられるかもしれませんが、「上司は、自分にとって、物わかりのよい優しい人であってほしい」という期待がその深層にはあるかもしれません。本当に何の期待もないなら、そのような事があったとしても、それほど気になることもないでしょう。美味しくないとわかっているレストランに、期待もなく時間の都合でしかたく食事した時には、美味くなくてもそれほど残念には思わないですよね。   しかし、「このレストランはとても美味しいよ」、と人から薦められたレストランでの食事が美味しくなければ、何か裏切られたような気持ちになり、とても残念に感じることでしょう。  人に対するコミュニケーションでも同じだと思います。   「自分はこんなによくしてあげてるのに、(あの人は)少しもお返ししてくれない」 「私はあの人より能力があるのに、軽く見られているのは許せない」etc.   このような時、その深層には、相手に対する期待があります。   そして相手がその期待に答えてくれない時に、怒りや恨みが生じます。   もし最初からそんなものがなければ、相手に過剰な怒りや恨みを感じることもありません。   少なくとも私は先日の件で、相手の人にある期待をしていたことに気付きました。   こんな時、心理学では有名なある言葉を思い出します。   ドイツの精神医学者にしてゲシュタルト療法の創始者であるフレデリック・S・パールズ(1893~1970)が書いたものです。

 

    GESTALT GEBET ゲシュタルトの祈り   Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben. 私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。   Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen – 私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。   und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen. そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。   ICH BIN ich und DU BIST du – 私は私。あなたはあなた。   und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön, でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。   wenn nicht, dann ist auch das gut so. たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。    


 この言葉は、個人主義だとか、利己的だとか捉える人達もいるようですが、ここで言われていることの根底には、人間は、何かに依存しなければ生きていけない弱い存在ではなく、ひとりひとりが自己完結できる素晴らしい存在である、という想いがあるように思います。   そして一人ひとりがそれぞれ個性的で、唯一無二の存在である、という想いです。   本当にこの祈りのように人と接するためには、人間に対する絶対的信頼と、絶対的肯定がなければ、成り立ちません。   これは、究極のコミュニケーションだと言えるのではないでしょうか。   まずは、今かかえているコミュニケーションの課題のなかで、相手にどんな期待があるのか、を知り、それらを手放すところから始めていくのもよいかもしれませんね。

マインド・ボディセラピー研究所

mind 心・body 肉体・energy氣 のバランスが取れてしっかりと噛み合っている時に、人は健康でイキイキと歩めます。しかしバランスが崩れてかみ合わなくなると、心や体に何らかの問題が生じます。 そのような時、mind 心・body 肉体・energy氣 の3方向からアプローチするのがマインド・ボディセラピーであり、そのようなアプローチが出来るセラピストを育成しています。

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