【逃げる勇気 ~生き延びるために】
昨今、長時間労働等での過労自殺のニュースが後を絶たない。
このような事件があった時、報道ではよく「なぜ自殺する前に逃げなかったのか」が話題になり、「長時間労働等のストレス状態が続くと鬱状態になり、冷静に思考する能力も逃げるためのエネルギーも、枯渇してしまう」ということが言われる。
確かに鬱状態になってしまってから、逃げるのは難しいかもしれない。
このような事件に見るまでもなく、困難や窮地から逃げるということが出来ない人が多いように思う。
うつ病などに至った人の話を聞いていると、逃げることが出来なかったという言葉をよく聞く。
そんな人達は、人並み以上に頑張り屋で責任感が強く、私の眼にはとても素晴らしい人が多いように見える。
逃げるということは、敗けるということ。恥ずかしいこと。
困難から逃げることは、弱い者のやること。
逃げて自分を守るより、闘い責任を果たすべきだ。
どんな時でも決して逃げてはいけない。
これらの一見正しそうなビリーフ
多くの人達が、そんな教育を無意識レベルに刷り込まれて育ったため、これらのビリーフが心の奥底にまで沁み込んでしまっているのかもしれない。
結果として、逃げることで自分のプライドやセルフイメージがが地に堕ちてしまう恐怖感や、責任を放棄することへの罪悪感と自分を守りたいという欲求の葛藤に押しつぶされて、身動きとれなくなってしまうのかもしれない。
逃げるのは、本当に駄目なことなのか?
人間には、生きるための防衛本能の中に、「戦うか、逃げるか」を選ぶ闘争・逃避反応というものがある。
狩猟民族などは、大きな獲物を獲得できるチャンスがきても、相手が凶暴でこれはやばいと思えば、その場から一目散に逃げる。
結果的に逃げることで、自分の命のみならず、家族の命さえ守っていることを彼らは知っている。
現代の私たち目の前に大きな猛獣はいないかもしれないけれど、仕事や人間関係などのストレスが猛々しい咆哮を放ち、私たちの命を奪うべく襲い掛かってくる。
そういう意味では、昔も今も危険なジャングルに生きているのかもしれない。
だからこそそんな時は、自分で「逃げる」という選択を勇気を持ってしてほしい。
しかしストレスが溜まり過ぎると、逃げることさえできなくなる。
そんな時は、そのかすかなSOSに気付いた誰かが、「とにかく逃げろ!」と大きな声で叫んでほしい。
そして、その人の背中をそっと支えてあげてほしい。
逃げて、少し休んで落ち着いたなら、またきっと立ち上がることが出来る。
このようなことが、お互い当たり前に出来るような世界になればいいと思う。
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