【他人の評価が気になる方へ ~他人軸から自分軸へ】
人間関係に悩む方の多くが、他人の評価を気にし過ぎていることに関連していると感じるケースをよく目にします。
それらの多くがとても真面目で誠実で、そのままでも多くの魅力を持っておられる素敵な方なのですが。
このように他人の評価を気にし過ぎると、生き辛くなってしまいます。
それは、人はそれぞれ独自の信念 価値観 世界観を持って生きているため、他人の評価に焦点を充てた生き方は、必ずどこかで行き詰まり、逆に自分らしさを手放してしまう、という落とし穴にはまってしまうからではないかと思います。
では人の評価を得たいという思い自体が悪なのでしょうか?
とても難しい問題だと思います。
人間は無から生まれて、ゼロから自己肯定感を育むためには、他者からの承認や肯定を通して自分を尊い存在として受け入れていくプロセスがあるからです。
本来ならそのプロセスにおいて、何をしたからとか、何が出来るからという外的な基準ではなく、ただそこにいるだけで尊く愛しい唯一の存在として、無条件の愛に支えられる経験があれば、自然に自己肯定感は育まれます。
しかし現実には条件付きの愛情しか受け取れず、自己肯定感や自己承認の器を満すことが出来ずに大人になってしまうケースもあります。
そのような場合、人はいくつになったとしても、ぽっかり空いた器を満たすために、そのプロセスを経験したいと思うのは生きるための知恵なのです。
そしてそれは、ごく自然なプロセスであり、人として成長し、幸せに至る過程で必要なプロセスでもあります。
王道に近道なし、という言葉のように、人生の成長プロセスに飛び級はありません。
しかし他人の評価でしか自己肯定感を感じる事ができないという歪な形が長く続くと、自分の外側の世界というコントロール出来ないあやふやな場所に、人生の基盤を置くことになります。
そんな状態で、人生に幸福を感じることは難しいのではないでしょうか。
しかし、このプロセスで肝心なのは、そのような状態にある自分を否定するのではなく、そこまでしてでも自分の器を満たして、自己肯定感を養おうと一生懸命がんばっている自分がいることを、まずは認めてあげてはいかがでしょうか。
それに許可を与えてあげることも大切だと思います。
そのようにして必要なプロセスを完了すると、自分軸が育ち自然に次へのプロセスへと移行できるものです。
その時には、他人の評価は絶対的なものではなくなり、人生の中での一部の要素でしかなく、自分軸で重要な内なる感覚を拠り所にして、しっかりと自分の人生を歩むことが出来るようになります。
もし今そのようなプロセスをあなたが歩んでいるのであれば、そんな自分を赦し肯定するところから始めてみてはいかがでしょうか。
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