【あるがまま に潜む光と影 ~心理学やスピリチャルの功罪】
昨今、あるがままと言う言葉や概念がもてはやされているように感じます。
売れっ子心理カウンセラーやスピリチャルな世界で人気のチャネラー達が、「あなたはあなたのままでいいのですよ!あるがままでいいのです」というようなメッセージを繰り返し発信しています。
そして、そのような人達の周りにはそのメッセージに共感する多くの人達が集まり、盛況を呈しているようです。
これを私は便宜的に「あるがままムーブメント」と呼ぶことにします。
昨日「他人の評価が気になる方へ ~他人軸から自分軸へ」というテーマで投稿させていただきましたが、その中で、「人間は無から生まれて、ゼロから自己肯定感を育むためには、他者からの承認や肯定を通して自分を尊い存在として受け入れていくプロセスがある」、と書きました。
そして、「本来ならそのプロセスにおいて、何をしたからとか、何が出来るからという外的な基準ではなく、ただそこにいるだけで尊く愛しい唯一の存在として、無条件の愛に支えられる経験があれば、自然に自己肯定感は育まれます。しかし現実には条件付きの愛情しか受け取れず、自己肯定感や自己承認の器を満すことが出来ずに大人になってしまうケースもあります。そのような場合、人はいくつになったとしても、ぽっかり空いた器を満たすために、そのプロセスを経験したいと思うのは生きるための知恵なのです。」とも書きました。
そのようなプロセスにある人達には、資質や能力への対価的な愛情ではなく、無条件であるがままに愛される、という体験が絶対的に必要なのです。
ですから、上記のような「あるがままムーブメント」は、人間の成長過程のある時期には、とても有効だと思います。
しかし、人間を常に成長し続ける存在として見た場合、そこがゴールではなく、さらに目指すべき道があります。
次に、満たされた自分が他者とどうかかわり、この世界に何を成し得るか?ということです。
心理学者マズローの有名な「欲求5段階説」には、実は6段階目があるという話があります。
晩年にマズローが付け加えた6段階目は「自己超越」という概念で、簡単に言えば、「自分のためという想いを超えて、他の人々や世界に貢献したい」という欲求です。
また心理学体系NLPの「ニューロロジカルレベル」でも、通常扱われる「自己認識」(わたしはわたしである、という認識)のさらに上に、「スピリチャル」(そんなわたしは、世界にどんな貢献ができるか)というレベルがあります。
このように人間は自分自身を肯定し、しっかりと受け入れるプロセスを経たなら、さらに認識世界を拡張し自ずと自分以外の他者や世界に意識が向くようになるようです。
今まで自分の「得」を求めた生き方から、自分の「徳」を高めたいという生き方に変わるということです。
物質的な成功を納めた企業家が、この世界のために私はどう生きるべきか、というような哲学的なテーマに意識が向き、宗教家や哲学者に転身したり、ボランティアなどの社会奉仕に滅私奉公するようになったりするのも、このプロセスだと思います。
「あるがままムーブメント」は、プロセスの途上にいる人達には必要で有効ですが、それが決してゴールではないと思います。
しかし残念ながら、いつまでもそこに留まり、自分のエゴだけを満たそうとするように見える人が、一定数以上存在するように感じます。
そうなると、結局はエゴが肥大し、そのような状態を受け止めてくれる人達だけが集まる、非常に限定的なコミュニティだけでしか生きて行けなくなってしまうという、弊害があるように思います。
「あるがまま」を否定しているわけでなく、そこをゴールにしてしまっている現在の「あるがままムーブメント」を危惧しています。
結果としてそれを助長してしまっている心理業界やスピリチャル業界の一部の人たちの功罪も大きいように思います。
私にはそんな大きな影響力はありませんが、心理業界の末端に属する者として、そのことをしっかりと考えて行かなければいけないと思わされました。
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