【目にうつる全てのことはメッセージ ~直感に気付き従う】

   直感が冴えてくると、「目にうつる全てのことはメッセージ」になります。   私の好きなユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞でもあります。   つい先日のことです。 クルマで通り慣れたいつもの道を走っていたら、その日はやたら赤信号に引っかかります。   いつもならスムーズに進む行程をさえぎられ、少しイライラしてしました。   しかしこの現状をメッセージと捉えようと、その意味に考えを馳せました。   そうしているうち、さらに目の前の信号が直前に黄色に変わりました。   以前の私なら、黄色は加速するサインであるかのように、そのまま交差点を通過したかもしれません。   ここではブレーキをかけてしっかり止まると、その交差点からパトカーが出てきました。   突っ込んでいたら、おそらく御用になっていたでしょう。   ただしこのような時に直感が伝えようとするメッセージは、「交通違反で捕まらずにすんでよかったね。めでたしめでたし」、というような一次的なメッセージではなく、「仕事の計画をここで一度立ち止まって、再検討しなさい」、ということかもしれないし、「人生を急ぎ過ぎているので、一度ゆっくりと立ち止まって休みなさい」ということかもしれません。   この例のように、直感がさえてくると何気ない日常が、メッセージやサインに満ちた物になります。   そしてそれらは必ず私たちの深層心理の必要性を満たすために、必要な時に現れて来るようです。   それらはお試しとも言えるかもしれないもので、問題や逆境という形でくるかもしれませんし、逆に信じられないようなラッキーな話としてやってくるかもしれません。   どちらにしてもお試しは、私たちの深いレベルでの必要性のうえで、人間的な成長をもたらすためにやってくるもので、決して私たちを困らせたり苦しめたりするために来るものではないと、私は考えています。    お試しをクリアすると、大切な気付きや学びを得て、人間として大きく成長できるのは、昔はまった「ドラクエ」などのRPGで、難敵をクリアした後レベルアップして、使えるスキルも体力、そして所持しているお宝も増えているのと似ているかもしれません。   このように直感が冴えてくると、日常の全てのものが私たちの成長のための大切なサインであり、メッセージになります。   ただし、サインが現れてくれるのは3度までのようです。   直感の大元である潜在意識や集合的無意識は、私たちがこれらのサインに気付くことが出来なかった場合、忍耐強く3度までは同じサインを送ってくれるようです。   それでも気付けなかったり、メッセージに気付けたとしてもそれに従おうとしなかった場合は、サインは現れなくなってしまい、直感を受け取る能力も減衰してしまいます。    うまく言ったもので「仏の顔も三度まで」ということわざは、本当のようです。   そして、いくら大切なメッセージをもらったとしても聞く耳をもたないならば、「馬の耳に念仏」になってしまうのでしょう。   この直感という素晴らしい能力を「豚に真珠」にしてしまわないように、私自身気を付けたいものです。

マインド・ボディセラピー研究所

mind 心・body 肉体・energy氣 のバランスが取れてしっかりと噛み合っている時に、人は健康でイキイキと歩めます。しかしバランスが崩れてかみ合わなくなると、心や体に何らかの問題が生じます。 そのような時、mind 心・body 肉体・energy氣 の3方向からアプローチするのがマインド・ボディセラピーであり、そのようなアプローチが出来るセラピストを育成しています。

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